Keeep Cleeean!!! Keeep Freeesh!!!
link
Blog久しぶりに書くな。

お久しぶりです。

板橋区のPUNPEEでございます。

昨日はDOMMUNEお疲れでした!

結構楽しくDJ出来たっす。

SICK TEAMも余裕の貫禄で見せてくれていました。

アルバムも好調みたいですね。


素晴らしいす!!!


で、自分なんですが

来週6/10に
RAU DEFの「CARNAGE」というミニアルバムの
全体的な流れとか録音とか編集をさせていただきました。
(一曲HOOKでしゃしゃり出、あとトラックも一曲やりました。)







このJASHWON氏ビートはマジでクラシック臭がかなりする!!!


後半のTOKYO ROXTAのビートは自分が作りました。

すげーかっこいいPVなのにデカイリュックを担ぎ上げる時
寝癖がたっていて台無しになってます。。。。


RAU氏の夜の流すシーンが
いきなりラグジュアリー感がましててウケた 笑




今回色々あったRAU氏ですが

昔から「ラップの技量だけでひっくり替えしたい!」

っていう姿勢だけはずっとあったから
あの曲が上がった時あんまり驚かなかったです。(タイミングとかは知らなかったけど)


ただやっぱり

凄い城にすんでいる結果を大きく残してきた偉大の人に

腕のたつ若いサムライが

いきなり勝負の場所を作るっていうのは

そう、うまくいかないわけで。。。


ただ、今は時代も変わってネットもあるしコンタクトとりやすい環境にはなってるし、、、


でも、そこにすげーかっこいい曲で返してくれていました!


多分サムライの時代でも


「ふっ。そうか。面白い。( ̄^ ̄)ゞ」


って言ってたと思います。(最後の顔文字はわかんないけど)


そこにRAU氏もまたかっこいい曲で返していて。。。
(正直一番最初に聞いたRAU氏のラップ以来に痺れました)


正直客観的に見てて
音楽的にだけど勝手にエキサイトしていました。


ham氏の奇抜な考えや策略も
俺から考えたら決して考えつかないようなもので
凄く羨ましいと思いました。

本当ゴルディアスの紐を思い出してしまった。

http://atsu23.jugem.jp/?eid=345


そして
(言い方悪いけど)それに便乗してくるような人もいて、、、

でもそういう人たちも
もしかっこ良くてそれがきっかけで注目されるようになれば
それは凄いリスナーやシーンにとっても
収穫だし

今回の件で例えばRAU氏にむかついて
DISソングを誰かが出したり
それにRAU氏が反応してまた返したり

うまく今の流れを利用して他の人が音源を出したり

なんていうかシーンの流れを+にもっていったほうが
自分は建設的な気がします。
(そこにある全てのものがスムースに決していくものではないと思うしそれにともなう責任もやはり本人につきまとうものだと思いますが、、、)


でも最終的に「かっこ良い!」っていわせるもの、って言う事が最低条件なんですけども。


来週出るCARNAGEは今回の一件とは
結構遠くの場所で作ったものです。
(でもやっぱりRAU氏のもともとのラップに対しての姿勢がそれだから重ねあう部分もあるように聞こえてくる)

音楽的にしっかり作って
自分でも良い作品になったと思うので聞いていただけたらありがてーっす。


あとちょっと話がそれるのだが
GOICHIと一緒に音源に入れたのはかなり感慨深いっす。

自分達が17か18の時(S.L.A.C.K.とGAPとあと当時のメンバー)
一番最初にLIVEをしたとき見てたのがGOICHIだった。

当時彼はMIC BANDITZとかもやってて
歳一緒なのに名前もかなり売れていて
トラックも超クオリティー高くて
うわーすげーなーって思ってました。

少し日本をGOICHIは離れていて
日本に帰ってきた時にS.L.A.C.K.がB-BOY PARK出てて。

「おーまだ続けてるんだ!」

みたいになって再開したっす。

3曲目の「Warning up」ていう曲は
GOICHIがトラックやってるです(スゲー、グルーブと音!!!!)

なので個人的に結構上がった出来事です。



なんか長くなってしまった。。。。



最後まで読んでくれた人感謝です。


あと自分名義でも
MIXかなんかそのうち出ると思うのでよろしくです。


やっぱりなんかを成し遂げる人は重いリュックを背負わないとダメなのかもなー、、、

がんばろ。


では半年後ぐらいにまたBLOGで会いましょう。

うす。

P
link
INTERVIEW : CANDLE with EVISBEATS

3月9日(水)に、4年ぶりとなるセカンド・アルバム「月見草子」をMary Joy Recordingsからリリースする Candle。全編プロデュースはEVISBEATSが担当し、新たなレベルへと突入したこの作品。音楽的にも格段の進化を遂げたCandleと、それを支えたEVISBEATS両氏にお話を伺いました。オンライン・チャットという慣れない環境ながら、両氏の人柄が上手く出た、終始リラックスした心地よい対談となりました。最後までお楽しみ下さい!

INTERVIEW : CANDLE with EVISBEATS

3月9日(水)に、4年ぶりとなるセカンド・アルバム「月見草子」をMary Joy Recordingsからリリースする Candle。全編プロデュースはEVISBEATSが担当し、新たなレベルへと突入したこの作品。音楽的にも格段の進化を遂げたCandleと、それを支えたEVISBEATS両氏にお話を伺いました。オンライン・チャットという慣れない環境ながら、両氏の人柄が上手く出た、終始リラックスした心地よい対談となりました。最後までお楽しみ下さい!

link
石田さんは私たちが居ない間に久しぶりにトラスムンドに行き、スラックの新作を買ったそう。つい最近、「最近自分にとって良い出会いはあったか」という私の質問に、少し考えて「密に仲がいいというわけではないけど、チェリーブラウンとスラックは、ライブでも何回か一緒になって会うと気分がいい」と言う。若い子から良い影響を受けている様子。そんな石田さんの次のアルバムのインフォがもう出ていてたまげた。予定通りに出るとは思えないけど、コンスタントすぎる。バイタリティがありすぎる。とビックリしたけど、前のアルバムから一年経っていた。何にビックリするって、時の流れの早さかもしれない。
link

今年のリリース情報(予定は未定)

テーマ:ブログ
NorikiyoどS。

今年の諭吉レコーズからの新作リリース(予定)情報です。

◆4月の初旬
SD JUNKSTAのMIXCD(新録&REMIXてんこもり) STREETのみでの販売となります。
※ZAKAIとか一二三屋とかBOOT STREETなどです。DJ ISSO社長のMIXです。

◆4月の後半
DJ ISSO Presents
NORIKIYO & DJ DEFLO/BOOTLEG LOOT(密売している戦利品)
※これは、わたくしの客演させて貰った曲や未発表曲&3rdアルバムから新曲などを
DJ DEFLOがMIXしたブツになります。
※これもSTREETのみでの販売となります。

◆5月初旬?間に合うか!?
SD JUNKSTAミーツ誰か? と言う企画のコンピレーションアルバムです。
乞うご期待!!
※タワレコなど大型CD SHOPでもお買い求め頂けます!!

◆5月
DJ LIK(SDP,ATS)による国産のHIPHOPのMIXCD「AIR TIGHTSERVICE」
SD JUNKSTAの未発表曲やKNZZ、SALUなど
皆さん絶対聞いた事無い曲達が収録されております(激熱)
※タワレコなど大型CD SHOPでもお買い求め頂けます!!

◆5月
NORIKIYO 3rdアルバム
※3年ぶりかな?わたくしめのニューアルバムでごわす!

◆6月
BRON-K(武 論渓)先生による待望の2ndアルバム!!

◆7月
川で遊びまくる(おもにBBQ!そしてBBQ!!さらにBBQ!!!)

です。

書いときますが、あくまでも「予定」です。

押忍。
link
緊急来日を果たしたClusterイチ推しNYブランド『バークマン ブラザーズ』のデザイナー兄弟にインタビューを実施! 2011年春夏コレクションの全貌に迫ります!!

Clusterでは、ブランドのデビューから一貫してオススメしているニューヨーク発のブランド『バークマン ブラザーズ(Burkman Brothers)』。「旅」からインスピレーションを得て作成されるアイテムの数々は、アメカジ愛好家のみならず、幅広い層を魅了しています。
そして今回、デザイナーであるカナダ人兄弟、ベン・バークマン(Ben Burkman)とダグ・バークマン(Doug Burkman)の来日に合わせ、インタビューを敢行。2011年春夏コレクションについて、話を伺ってきました。

スリランカのリゾート地をイメージソースに、例年以上にオリエンタルな雰囲気のアイテムがラインナップされる今シーズン。そのクリエイションの秘密に迫ります。

緊急来日を果たしたClusterイチ推しNYブランド『バークマン ブラザーズ』のデザイナー兄弟にインタビューを実施! 2011年春夏コレクションの全貌に迫ります!!

Clusterでは、ブランドのデビューから一貫してオススメしているニューヨーク発のブランド『バークマン ブラザーズ(Burkman Brothers)』。「旅」からインスピレーションを得て作成されるアイテムの数々は、アメカジ愛好家のみならず、幅広い層を魅了しています。
そして今回、デザイナーであるカナダ人兄弟、ベン・バークマン(Ben Burkman)とダグ・バークマン(Doug Burkman)の来日に合わせ、インタビューを敢行。2011年春夏コレクションについて、話を伺ってきました。

スリランカのリゾート地をイメージソースに、例年以上にオリエンタルな雰囲気のアイテムがラインナップされる今シーズン。そのクリエイションの秘密に迫ります。

link
D.O|INTERVIEW

■復帰作の“I’m Back”を出すにあたっては責任を取らなきゃいけないこともたくさんあったでしょうし、そういった意味で何か障害となったことはありましたか?

「事件を起こしたことで、HIP HOPシーンだけじゃなく、下手したらストリートにも居場所がなくなってしまうぐらいものすごく変な流れになってたんですよね。実際“I’m Back”を出すまでは、現場に立つことすら結構ややこしい状況だったんで。それはいろんなバビロンとのしがらみなんですけど、“I’m Back”を出すまでにそのいざこざをある程度収めなきゃいけなかったんですよ。まだすべてクリーンになったワケじゃないけど、ちょっとずつ正面から向き合ってきて、“I’m Back”を出すまでには2年掛かりましたね。どこまで文字で伝えられるかは分かんないけど、そこを僕らは常に命懸けでサヴァイヴしてきたし、事件を起こしてから“I’m Back”を出すまでの間には何度も大怪我したし……とにかく命懸けだったっすよね。いざこざが収まるまでは、ライヴをするにも普通の感覚じゃないワケですよ。はっきり言って、包丁持ってステージに乱入してくるヤツがいたり、仲間の何人かが血だらけになったり……。“I’m Back”を出すまではそういうことがしょっちゅうあった。その中で、血と汗と金を流してやっとまた辿り着いた前線なんですよね。そこでちゃんと出来なかったら本当のラッパーじゃないと思ったし、そこで消えてしまって、もうマイクを握れないようならそれまでのヤツなだけであって。それも全部“I’m Back”が証明してるっすよね」

D.O|INTERVIEW

■復帰作の“I’m Back”を出すにあたっては責任を取らなきゃいけないこともたくさんあったでしょうし、そういった意味で何か障害となったことはありましたか?

「事件を起こしたことで、HIP HOPシーンだけじゃなく、下手したらストリートにも居場所がなくなってしまうぐらいものすごく変な流れになってたんですよね。実際“I’m Back”を出すまでは、現場に立つことすら結構ややこしい状況だったんで。それはいろんなバビロンとのしがらみなんですけど、“I’m Back”を出すまでにそのいざこざをある程度収めなきゃいけなかったんですよ。まだすべてクリーンになったワケじゃないけど、ちょっとずつ正面から向き合ってきて、“I’m Back”を出すまでには2年掛かりましたね。どこまで文字で伝えられるかは分かんないけど、そこを僕らは常に命懸けでサヴァイヴしてきたし、事件を起こしてから“I’m Back”を出すまでの間には何度も大怪我したし……とにかく命懸けだったっすよね。いざこざが収まるまでは、ライヴをするにも普通の感覚じゃないワケですよ。はっきり言って、包丁持ってステージに乱入してくるヤツがいたり、仲間の何人かが血だらけになったり……。“I’m Back”を出すまではそういうことがしょっちゅうあった。その中で、血と汗と金を流してやっとまた辿り着いた前線なんですよね。そこでちゃんと出来なかったら本当のラッパーじゃないと思ったし、そこで消えてしまって、もうマイクを握れないようならそれまでのヤツなだけであって。それも全部“I’m Back”が証明してるっすよね」

link
ヒップホップシーンのみならず、多方面に衝撃を与える脅威の新世代ラッパー、S.L.A.C.K.にインタビューを敢行! その素顔とは!?  2008年にリリースした限定100枚のCD-R『I’m Serious』が噂を呼び、2009年にファースト・アルバム『My Space』とセカンド・アルバム『Whalabout?』、そして、実兄PUNPEE、GAPPERとのユニット、PSGのアルバム『David』の連続リリースで、早くもその評価を確立した23歳のトラック・メイカー/ラッパー、S.L.A.C.K.。  2010年はBudamunkyとの『Buda Space』、そして『Swes Swes Cheap』という2枚の限定EPをリリースしながら、新世代らしいストイックにして奇想天外な活動を展開してみせた彼が謎の新レーベル、高田音楽制作事務所より新作『我時想う愛』をリリースする。さらなる進化を遂げた2011年のS.L.A.C.K.は果たして何を語ってくれるのか?  インタビュー・文:小野田 雄 写真:浅田 直也

ヒップホップシーンのみならず、多方面に衝撃を与える脅威の新世代ラッパー、S.L.A.C.K.にインタビューを敢行! その素顔とは!? 2008年にリリースした限定100枚のCD-R『I’m Serious』が噂を呼び、2009年にファースト・アルバム『My Space』とセカンド・アルバム『Whalabout?』、そして、実兄PUNPEE、GAPPERとのユニット、PSGのアルバム『David』の連続リリースで、早くもその評価を確立した23歳のトラック・メイカー/ラッパー、S.L.A.C.K.。 2010年はBudamunkyとの『Buda Space』、そして『Swes Swes Cheap』という2枚の限定EPをリリースしながら、新世代らしいストイックにして奇想天外な活動を展開してみせた彼が謎の新レーベル、高田音楽制作事務所より新作『我時想う愛』をリリースする。さらなる進化を遂げた2011年のS.L.A.C.K.は果たして何を語ってくれるのか? インタビュー・文:小野田 雄 写真:浅田 直也

link
LCDサウンドシステムの足跡を振り返る
link
10 Facts About J Dilla You Might Not Know 10

Chocolate Cake Was His Favorite

As reported by Kelly L. Carter of the Detroit Free Press, it was Jay’s favorite flavor ’til the day he returned to the essence. When Dilla came home from the hospital to his Los Angeles apartment in early 2006, and celebrated his first birthday in four years in his own home, his friend and roommate Common bought him a chocolate cake to commemorate the milestone. His pals from Stones Throw Records, Madlib and Peanut Butter Wolf, also came by his place with a celebratory cake in the shape of a chocolate donut to celebrate the just released Donuts. However, Jay—weak from kidney failure and dialysis treatments after being diagnosed with Lupus—did not want his friends to witness his deteriorating health, and kept their visit brief. He passed away just three days later. Rest assured, however, that if they didn’t serve chocolate cake in hip-hop heaven before February 10th, 2006 they sure as hell did thereafter. J Dilla, R.I.P.

10 Facts About J Dilla You Might Not Know 10

Chocolate Cake Was His Favorite

As reported by Kelly L. Carter of the Detroit Free Press, it was Jay’s favorite flavor ’til the day he returned to the essence. When Dilla came home from the hospital to his Los Angeles apartment in early 2006, and celebrated his first birthday in four years in his own home, his friend and roommate Common bought him a chocolate cake to commemorate the milestone. His pals from Stones Throw Records, Madlib and Peanut Butter Wolf, also came by his place with a celebratory cake in the shape of a chocolate donut to celebrate the just released Donuts. However, Jay—weak from kidney failure and dialysis treatments after being diagnosed with Lupus—did not want his friends to witness his deteriorating health, and kept their visit brief. He passed away just three days later. Rest assured, however, that if they didn’t serve chocolate cake in hip-hop heaven before February 10th, 2006 they sure as hell did thereafter. J Dilla, R.I.P.

link
10 Facts About J Dilla You Might Not Know 9

He Didn’t Read Equipment Manuals

As Jay confessed in his final interview with Scratch in February 2006, he was self-taught on virtually all of his production equipment—a trait he adopted at the behest of mentor Amp Fiddler, who introduced Dilla to the MPC, but stopped short of showing him how to actually operate it. “’Don’t use a book,’” Jay recalled Amp telling him. “’You gotta learn on your own.’”

10 Facts About J Dilla You Might Not Know 9

He Didn’t Read Equipment Manuals

As Jay confessed in his final interview with Scratch in February 2006, he was self-taught on virtually all of his production equipment—a trait he adopted at the behest of mentor Amp Fiddler, who introduced Dilla to the MPC, but stopped short of showing him how to actually operate it. “’Don’t use a book,’” Jay recalled Amp telling him. “’You gotta learn on your own.’”

link
10 Facts About J Dilla You Might Not Know 8

The Jaylib Sessions Were Recorded On Just Two Tracks

A fan of Oxnard, CA’s finest since his Lootpak days, Jay tapped Madlib for beats for Jay’s ill-fated MCA album. Soon afterwards Jay caught word that Madlib had begun recording verses over Jay Dee beat tapes, and had even pressed up a white label 12” of some of the material. Jay stepped to Madlib saying, “If you want do this let’s do it for real and put out an album.” Thus Jaylib was born—a series of collabs that entailed no actual studio sessions, just raw 2-track overdubbed recordings sent back and forth between the two visionary beatsmiths.

10 Facts About J Dilla You Might Not Know 8

The Jaylib Sessions Were Recorded On Just Two Tracks

A fan of Oxnard, CA’s finest since his Lootpak days, Jay tapped Madlib for beats for Jay’s ill-fated MCA album. Soon afterwards Jay caught word that Madlib had begun recording verses over Jay Dee beat tapes, and had even pressed up a white label 12” of some of the material. Jay stepped to Madlib saying, “If you want do this let’s do it for real and put out an album.” Thus Jaylib was born—a series of collabs that entailed no actual studio sessions, just raw 2-track overdubbed recordings sent back and forth between the two visionary beatsmiths.

link
10 Facts About J Dilla You Might Not Know 7

He Once Went On A “Date” With Lil Kim

As is very briefly recalled in an excerpt from Frank-N-Dank & J. Dilla’s European Vacation DVD shot in late 2005, while Dilla was on his final tour—with Frank-N-Dank, DJ Rhettmatic, and friend Dave “New York” Tobman: The Queen Bee picked up Dilla Dawg at Q-Tip’s house in the 600. They had Chinese food.

10 Facts About J Dilla You Might Not Know 7

He Once Went On A “Date” With Lil Kim

As is very briefly recalled in an excerpt from Frank-N-Dank & J. Dilla’s European Vacation DVD shot in late 2005, while Dilla was on his final tour—with Frank-N-Dank, DJ Rhettmatic, and friend Dave “New York” Tobman: The Queen Bee picked up Dilla Dawg at Q-Tip’s house in the 600. They had Chinese food.

link
10 Facts About J Dilla You Might Not Know 6

Biggie Once Recorded A 2Pac Diss Over One of His Beats

As legend has it in 1996 Dilla produced a track known as “The Ugliest” for frequent collaborator Busta Rhymes on which The Notorious B.I.G. dropped a guest verse. Only problem was this was during the ongoing and increasingly hostile Bad Boy-Death Row rift, and B.I.G.’s verse flagrantly went after 2Pac. Busta apparently wasn’t too keen on the idea of getting caught up in the beef, and despite an attempt by Puffy to buy the beat from Busta for B.I.G.’s use, the song—which, incredibly enough, was also to feature Nas—never reached completion as originally conceived. Later, B.I.G.’s verse would be resurrected (sans Jay’s beat) for his posthumous Born Again album on the song “Dangerous MCs.”

10 Facts About J Dilla You Might Not Know 6

Biggie Once Recorded A 2Pac Diss Over One of His Beats

As legend has it in 1996 Dilla produced a track known as “The Ugliest” for frequent collaborator Busta Rhymes on which The Notorious B.I.G. dropped a guest verse. Only problem was this was during the ongoing and increasingly hostile Bad Boy-Death Row rift, and B.I.G.’s verse flagrantly went after 2Pac. Busta apparently wasn’t too keen on the idea of getting caught up in the beef, and despite an attempt by Puffy to buy the beat from Busta for B.I.G.’s use, the song—which, incredibly enough, was also to feature Nas—never reached completion as originally conceived. Later, B.I.G.’s verse would be resurrected (sans Jay’s beat) for his posthumous Born Again album on the song “Dangerous MCs.”

link
10 Facts About J Dilla You Might Not Know 5

NBA Star John Salley Once Managed Him

For a stretch between the formation of the quintet Ssenepod (i.e. “Dopeness” backwards) featuring Dilla, T3, Baatin, Waajeed, and Que D, and the classic Slum Village trio line-up, Jay Dee and T3 signed on with a management team, Hoops, composed of partners R.J. Rice (of ’80s R&B electro outfit R.J.’s Latest Arrival) and Detroit Pistons’ “Bad Boy”-era big man, John Salley. According to Rice, a potential Hoops-brokered deal with Columbia Records for the duo fell through when the label opted to push Digable Planets towards Slum Village’s jazz-fueled hip-hop sound rather than sign Slum itself. Not cool like that, Columbia.

10 Facts About J Dilla You Might Not Know 5

NBA Star John Salley Once Managed Him

For a stretch between the formation of the quintet Ssenepod (i.e. “Dopeness” backwards) featuring Dilla, T3, Baatin, Waajeed, and Que D, and the classic Slum Village trio line-up, Jay Dee and T3 signed on with a management team, Hoops, composed of partners R.J. Rice (of ’80s R&B electro outfit R.J.’s Latest Arrival) and Detroit Pistons’ “Bad Boy”-era big man, John Salley. According to Rice, a potential Hoops-brokered deal with Columbia Records for the duo fell through when the label opted to push Digable Planets towards Slum Village’s jazz-fueled hip-hop sound rather than sign Slum itself. Not cool like that, Columbia.